反橋下や脱原発を声高に主張する人達の弊害について

朝生で1月に橋下特集やって、2月は若者論だった。
で、若者論の中で千葉麗子氏が脱原発関係で無理やり話をねじ込んで、他のパネリストからシカトされていた。
それで、反橋下派(薬師院、香山リカなど)と脱原発派(千葉麗子山本太郎など)ってなんか似たような空気感じるなあと思ったのだった。

【感情の赴くままの人達】
いずれにも共通するのは感情的な極論であること。
感情的な、というのが重要で、橋下のような理詰めの極論とはまた少し違う。
感情も大切なのだけど、感情だけで社会を動かすことは困難。感情を基点として、思考ツールが必要。
2回の朝生や山本太郎氏の行動を見ていると、彼らには思考ツールが足りてないように見える。
相手が「論理武装してくるのなら、こちらは感情で」という発想。
一勢力、一個人の生存戦略としてはアリです。全然アリ。でもそれを一般化するのは無理がある。

でも彼らはそれを無理だと思っていない。なぜなら、彼及び彼らの身内(やファン)ではそれが成功しているから。そしてそれが成功しないのは、自分達の活動が不十分だからだと思っている。だから行動はよりラディカルに、感情的になって、理知的からは程遠くなっていく。


【本当の犠牲者は、その主張を本来すべき人達】
本当に犠牲となっているのは、それぞれ「橋下改革で犠牲を被る可能性の高い人達(例えば高齢者、非進学校など)」、「脱原発を志向する人達」だ。
本来重要である主張が、極論を感情的に唱える人達によってスポイルされていく。
オオカミ少年が声高に主張すればするほど犠牲になるのは村の人なのだ。


なんかこう書くと、感情による過剰な主張には何のメリットもないように見えるな。
言ってる本人は気持ちいいかもしれないけど。
後ろから弾を撃つ奴が一番タチが悪い。
(僕のスタンスはどちらかというと反橋下、脱原発ですが、これだけやらかされてしまった後では、そのマイナスを回復し世間に訴えることはかなりの苦労かと思います)

「追記」
ちなみに橋下支持する人間もこの傾向がある。多分典型的なB層なんだけど、つくづくまともな議論をスポイルしててもったいないと思う。
ま、どっちもどっちだね。バランスが一番大事。

もっとちゃんとまとめたかったけど、眠すぎなので寝ます。。。